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勧請(かんじょう)とは?

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勧請(かんじょう)とはなんでしょう?
  

詳細を解説しますね♪
  
 

勧請(かんじょう)とは?

 分霊

分霊(ぶんれい、わけみたま)は、
神社の神様の神霊を分けた霊です。

分霊した神の霊を
他の神社に移動させることを勧請
と言います。
 

神様の霊である神霊無限です。

だから、どれだけでも分けることができます。
分霊しても、神霊の威力が弱まることもありません。
 
そして、勧請された分霊は、
分霊前の神様と同じように働き
ます。
 

ちなみに、
神社から神様を勧請することを
分祠(ぶんし)といい、
分祠された神社を

  • 分社(ぶんしゃ)
  • 今宮(いまみや)

と言います。
 

主な神社の数

現在、主な神社の数は
下図のようになります。

この神社数の総和が、
これまでに勧請された数になります。
 

順位神社名神社数
1稲荷社19800
2八幡社14800
3天神社10300
4諏訪神社5700
5神明神社5400
6熊野神社3300
7春日神社3100
8八坂神社2900
9白山神社2700
10住吉神社2100

 

稲荷社は、
江戸時代商工業の神様と見なされたから。
 
八幡社は、鎌倉時代に武士の神とみなされていたから。
 
天神社は、雷の神で、
雨は農作物の成育に欠かせないことから農耕の神でもあり、
各地で祀られていた天神もまた道真であるとされるようになったから・・・。

などなどの理由で
有名な神様が全国に勧請されていきました。
 

時代ごとに神様の人気が変わったため、
様々な神社が全国に勧請されていったのです。

人気を得た神様の事を流行神といいます。
 

勧請神社

神社は、もともと産土神を祀るために
建立されました。
 
律令制度では、
地域共同体の産土神を祀る神社が、
地方自治や租税の場として利用
されました。
 

神仏習合で詳しく説明しますが、
神宮寺が建立されていくと、
地域共同体としての
産土神社の機能が
神宮寺で果たされるようになるケースがありました。
 

この場合、産土神社は廃れてしまいました。
この廃れた産土神社は、
稲荷神のような流行神を勧請し、
再興されて
いきました。
 

このように、
一度は廃れてしまった産土神社が、
流行神を勧請することで
参拝者を獲得し復活した神社を勧請神社
といいます。
 

有名な勧請

京都の石清水八幡神社は、
宇佐八幡神社から勧請されたものです。
 

話は飛びますが、
中国の律令制度は
武力と権力を持った皇帝が施行したものです。
 
これに対し、
日本には皇帝のような
武力と権力を兼ね揃えた支配者は現れませんでした。
 

中国の優れた政治システムである
律令制度を日本に導入するにあたり、
日本の朝廷は神道を利用しました。

もともと祭政一致で
政治が運用されていたこともあり、
神道を利用した律令制度の導入は成功
しました。
 

地方に住む人々は、
地域共同体の中核をなしていた
神社祭祀の場で、
国司を頂点とする地方官僚に税を治め、
そして次年度の租税量が通達されました。
 
ところが、仏教が広がるにつれ、
その影響で、
地方の神社祭祀を基盤とする
律令制度が崩れ始めました。
 

そして、律令制度が崩れる中、
藤原氏が権力を大きく伸ばしました。
 
摂政となった藤原良房は、
権力を駆使し、
三人の皇子を押しのけて
良房の息子である
惟仁親王を即位させ清和天皇としました。
 

この行為に対する世間からの
非難をそらすため、
清和天皇が皇位継承時に
権威を示した八幡大菩薩にすがり、
藤原氏への反対者を圧伏するため、
京都に八幡社を勧請したのです。
 

まぎらわしい例

北野天満宮太宰府天満宮は、
菅原道真が祭神となっている点は同じですが、
独立して建立されました。
 
だから、一方から他方へ
勧請されたものではありません。
 
このため、天神社には、
総本社や総本宮はなく、
代わりに天神信仰発祥の地
があります。
 

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