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皇霊殿(こうれいでん)とは?

皇霊殿(こうれいでん)とはなんでしょう?


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これは、宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)のひとつとされ、、
神武天皇以来、
天皇・皇后各皇族等の
皇室の祖先を祀るものです。

詳細を解説しますね。

 

皇霊殿(こうれいでん)とは?

皇霊殿(こうれいでん)は、
宮中三殿の1つで、
皇居内にあり、歴代天皇や皇族の御霊が祀られいます
  

この皇霊殿は、
明治に神祇官制度が再興されたときに皇居に作られたものです。
  
明治4年、神祇官が神祇省に降格し、
宮中に移されました。
  
明治11年には皇妃や皇族の霊も合祀されています。
  

明治以前の歴代天皇の墓所

古墳時代は、古墳が天皇の墓所になっていました。
  
古墳が作られなくなった奈良時代から
明治時代まで歴代天皇の墓所は、
京都市東山区泉涌寺山内町にある
泉涌寺(せんにゅうじ)内の
月輪陵(つきわのみささぎ)
にあります。
  

ちなみに、泉涌寺は真言宗のお寺です。
  

鎌倉時代の後堀河天皇(ごほりかわてんのう)と
次代の四条天皇(しじょうてんのう)の
陵墓(りょうぼ:皇室の墓所)は泉涌寺内に築かれ、
皇室との結び付きが強くなっていきました。
  
江戸時代には、
後水尾天皇(ごみずのおてんのう)から
幕末の孝明天皇(こうめいてんのう)までの
歴代天皇が葬られています。
  
泉涌寺は、皇室の陵墓に香をたき、
花を供える香華院(こうげいん)、
すなわち菩提寺となりました。
  
こうして、この寺は
御寺(みてら)」と尊称されています。
  
つまり、歴代天皇は、代々、仏式で祀られてきたのです。
  

また、京都御所皇后御常御殿(こうごうおつねごてん)には、
仏間である御黒戸(おくろど)があります。
  
天皇家は、代々、仏教徒だったのです。
  

皇霊祭

春分の日秋分の日には
皇霊祭(こうれいさい)が行われます。
  
この日はお彼岸で先祖を祭る日で、
春分の日と秋分の日に
最も近い戊の日は、
社日(しゃにち)として
氏子が氏神たる神社に参詣し、
春は五穀豊穣を祈り、
秋は実りある収穫に感謝する風習
がありました。
  
太平洋戦争後、
GHQが、皇室を中心とする国体を脅威と感じ、
皇室と国民を分断するため、
春季、秋季皇霊祭から春分の日
秋分の日に名称を変えました。
  

皇霊祭では、
天皇がお告文(ごこうもん)を読み上げ、
皇后陛下、皇太殿下、皇太子妃殿下が拝礼されます。
そして皇霊殿前庭で「東遊(あずまあそび)の儀」が行われます。
  

古事記、日本書紀にも、
皇室による
先祖を祀る祭儀が行われていたと記されています。
  
平安時代中期以降、
京都御所の清涼殿黒戸の間で
仏式で行われていましたが、
  
明治以降、
神仏分離政策により神式による祭儀に変更されました。
  

皇霊祭は、
お彼岸の中日に行われます。
春分(秋分)の3日前の日を「彼岸の入り」、
3日後を「彼岸の明け」と言います。
  
春分の日、秋分の日は、
「彼岸の入り」と「彼岸の明け」の中間に位置するので、
彼岸の中日
と呼ばれています。
  
西に沈む太陽は「極楽の東門」に入ると考えられ、
太陽を拝むと十万億土を隔てた
極楽浄土の東門」を拝むことになります。
  
この極楽浄土の東門が、
最も近くなる日が彼岸の中日
なのです。
  

厳密な事を言うと、
  
お盆に先祖の霊が私達の世界に帰ってくるという思想は、
仏教によるものと思われがちですが、
神道に端を発しています

そして、お彼岸の日に先祖を拝むのも神道由来です。
  
そもそもインド仏教に
先祖を拝む祖霊崇拝はありません。
  
神仏習合により、極楽浄土と常世国が混同されてしまったのです。
  
どちらでも意味は同じですが…。
 

きゅろ

このブログの管理人、きゅろです。
スピリチュアルなことが大好きで、
小学生のやんちゃな娘と
私にとってのメンターで
がんばり屋な主人と
暮らす主婦です(*^^*)

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