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湊川神社(楠公さん)のご利益は?楠木正成ゆかりの超パワースポット!

兵庫の神社
湊川神社って、御祭神は楠木正成公?

 


そぉーなんですーーー!!

 

あなたも楠木正成が好きなんですか?

 

楠公(なんこう)さんの相性で親しまれている、
楠木正成公を祀る湊川神社は、
他府県はもとより、地元の人にとっても
とっておきのパワースポットなんです(*^^*)

 

楠木正成といえば、
後醍醐天皇に忠誠を誓って、
鎌倉幕府の倒幕に向けて
挙兵したゲリラ戦のエキスパート!(笑)

 

正成公を祀った湊川神社も
素晴らしいご神気があふれる神社でした。

詳細を解説しますね~

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湊川神社とは?

湊川神社(みなとがわ)を創建したのは明治天皇です。

これは、御神霊自身が望まれたわけではなく、
正成公を奉斎したいという
国民運動が、幕末から盛んになり、
明治天皇が楠木正成公の
忠誠を後世に伝えるため、神社を創建されたそうです。

 

神社を創建するという事は、
大変な事なのですが、

それをあえて大金を投じて行ったという事は、
それだけの価値がある!と強く認められていたから。

 

楠木正成の生涯をざっくりと見てみましょう~(*^^*)

 

楠木正成とは?

楠木正成は大阪の南部の出身。

河内国、赤坂水分といいますから、
現在の大阪の南部千早赤阪村の出身です。

 

代々、楠木家は地元、
千早赤阪村の特産物(水銀)を売って
財力と権力を持っていた地方豪族
お金持ちだったんですね。

 

水銀というと今は毒物ですが、
当時、薬として使用されていたとか。

 

水銀は、
高貴でお金持ちの人々が
服用していたんですね。

 


その財力もあってか
正成は少年期、地元、観心寺仏道修行し、
知識の面でも大変優れていたそうです。

 

正成が活躍したのは鎌倉時代末期

 

幕府の政治に対する不満が
武士や民衆の合間で高まっており、
各地で反乱を起きるほどでした。

 

時の天皇である
後醍醐天皇もそうした世を改正しようと倒幕を計画。

 

ただし、表向きは、政治の実権を幕府から取り戻し、
昔のような朝廷中心の政治に戻す事だったのですが、
実際は、後醍醐天皇の息子に
皇位を継がせたかった・・・というのがあるらしいですけどね。

 

しかし、
後醍醐天皇の計画を知った 鎌倉幕府は、
ただちに、倒幕計画に参加していた
公家を逮捕。

 

後醍醐天皇はなんとか逃げ延びて、京都を脱出し、
笠置山に身を隠します。

 


そこで寺の僧徒が楠木正成のことを告げ、

後醍醐天皇は
急いで正成を笠置に呼び寄せたそうです。

 

「悪党」と呼ばれる、地頭や、荘園領主に反抗する人たちを
大阪南部で束ねていたのが楠木正成だった訳ですね。

 

だから、

 

兵の力を持たない後醍醐天皇は、なんとしても
楠木の力が借りたかった!!

後醍醐天皇は、
人を奮い立たせるカリスマ性を持っていたそうです。

 

だからという訳ではないでしょうが、

 

楠木正成は、会って話を聞いた瞬時に、
天皇に惚れこんでしまって、
陛下をお助けしてなければ!」と決心します。

 

しかし、
倒幕を図るという事は即ち、
幕府の大軍と戦うという事。

 

少数の田舎の武将が正面切って戦って、
勝てる相手ではないのです。

 

正成は、

東国の武士は武勇はあるが、
知略に欠けている。

だから、

計略にかけるのは簡単である、
私一人が存命であるなら、
必ずや勝運が開けるであろうと
後醍醐天皇に伝えたそうです。

 

これを聴いた後醍醐天皇は、
どれほど感激した事でしょうね!(笑)

 

正成は悪党と呼ばれたゲリラ戦の名手だったのですが、
向かってくる大軍に熱湯を浴びせかけたり、
次々と大木や岩を落としたり、むちゃくちゃな戦闘を行います。

 

熱湯には汚物も混ざっていたといいますから、
甲冑を着た武士はたまったものではありません。

 

こうして少数であった正成は何ヶ月も戦い続け、
最終的に、倒幕は成功しました。

 

そして、後醍醐天皇は公家中心の社会に戻すため、
建武の新政を行うんです。

 

しかしながら、

 

後醍醐天皇に対する強い反発心を
持っていた武士たちは、
源氏の名家であった
足利尊氏に強い期待を寄せたんです。

なので、

 

逆に尊氏が
後醍醐天皇側から危険人物として警戒されました。

 

やむを得ず、尊氏は、
武士を軽視した建武の新政に対して、
叛旗をひるがえします。

 

本音で言えば、
尊氏自身は
後醍醐天皇に歯向かう事を望んだわけではなかったんですけど^^;

 

尊氏の本音を知っていた正成は、
必死で後醍醐天皇を説得します。

 

しかしながら、
公家や、後醍醐天皇たちは、
絶対に尊氏を信用しません。

 

正成は後醍醐天皇には恩義があります。
実際は、自分に対して、
あまり好印象を持っていなかったとしても、

 

表面上、強く信頼してくれた天皇に対し、
逆らえなかったんですね。

 

説得ができないと悟った正成は、
最初から死ぬ覚悟で湊川の戦いに赴き、
忠義を貫いて亡くなったというわけです。

 

状況が状況だけに、
切羽詰まった状況におかれた正成。

 

そんな中でも、恩義を感じていた後醍醐天皇に
忠義を尽くした正成。

 

人間関係が複雑なのと、
当時の力関係がややこしいんですよね^^;

 

それに翻弄された正成と尊氏が
本当に気の毒になりました。

 

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湊川神社の境内

私達夫婦が湊川神社に行った時は、
天気は雨でした。^^;

 

いやだなぁ~。傘さして参拝するのは・・・

 

そんな風に感じていたので、

主人の車の中で
守護霊か天気を司る神様にお願いしました。

 


今日は、神戸市の湊川神社に参拝します。
雨が降っているとちょっと参拝しづらいので、
恐れ入りますが、私達がお参りしている間だけでも
雨をあげていただけますか?

 

そんな簡単にあがるとは思えないくらい、
激しい雨降りだったので、
半分あきらめ気味でした。

 

やがて、湊川神社に着きましたので、
正面まで歩いて、そこでご挨拶。

 

はじめまして。◯◯と申します。
この度は、桜井識子さんのブログを読んで
こちらに参りました。よろしくお願い申し上げますm(_ _)m

 

一応、自分がどんな存在なのか
参拝する前に簡単に挨拶すると、
こちら側も神様に話しやすくなるというか
気持ちがスッキリするんですよね。

 

するとですね・・・。
境内に入る車に乗っていた時は
ざざ降りの雨が小雨になってきたんです♪

 

これは本当にうれしかった・・・!!!

 

楠木正成さんがそうしてくれたのか、
天の神様が聞いてくださったのかは、わかりませんが、
自分の小さな願い事を聴いてくださったと思うだけで
幸せ感が倍増するんです。

 

楠木正成の御墓所

境内に入ると、すぐ、
右手に楠木正成さんのお墓、御墓所があったので
まずそちらでお参りしました。

 

 

 

こちらはなんと、
1692年(元禄5年)にあの水戸黄門である
徳川光圀公が家臣である
佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねきよ)
といいますから、助さんですね♪

 

助さんを遣わして、
こちらに碑石(ひせき)を建てたんです。

 

こちらには光國公が直々に
嗚呼忠臣楠子之墓」(ああちゅうしんなんしのはか)と
の文字を書き、

碑石の裏には、明の遺臣である朱舜水(しゅしゅんすい)
賛文(さんぶん)を書かせるという、
手の入れようで、

 

どれだけ、当時の武将にも尊敬を集めていたのかが
ありありとわかるんです。

 

そして、

 

本殿の裏側には、
殉節地(じゅんせつち)
があります。
これは、
楠木正成が湊川で足利尊氏と戦いましたが、
敗れ、弟の正季と共に
自害した場所として、祀られているんです。

 

 

 

湊川神社の狛犬とお守り

私は本殿で楠木正成さんにご挨拶したかったのですが、
その前に、左側にある社務所に伺いました。

お守りを見たかったんです。(*^^*)

数的にいっても、
かなりの数のお守りが並べられていましたが、
私がチェックして購入したのがコレ(^o^)

 


この狛犬のお守りは、買おうかどうしようか、
しばらく迷っていたんですが、
その瞬間、私の頭の中で声が聞こえたんです。

 

お守りは買わんのか?(笑)
(願い事を叶えてやるぞ)

 

はっきり言葉として聞こえた訳ではないんだけど、
ものすごく人懐っこいような男性の声でした。www

これが正成さんの声なのかはわかりませんでしたが、

鳥居をくぐった時、
桜井識子さんのブログを読んで来たという事を
告げていたので、

もしかしたら、
お気遣いくださったのかもしれません。

 

実は湊川神社には、全部で6体狛犬が鎮座しているのですが、
そのうち、本殿前にある狛犬は

文化勲章を受賞された、平櫛田中氏により制作されたものだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この狛犬にはちゃんと眷属が入られており、
楠木正成さんをしっかり守られているんですね。

 

狛犬については
こちらで詳細を解説しています。(^o^)
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

狛犬の歴史!中国の唐獅子は日本の狛犬のルーツを知る材料
狛犬の歴史は?中国の歴史の唐獅子を見ると、狛犬のルーツがわかるんです。詳細を解説しますね。

 

さくら式日記の桜井識子さんによると、
死後、正成さんは、何回か生まれ変わったそうです。

生まれ変わったので、楠木正成という人間の記憶は無かったと。

 

しかし、
神社を創建する際、
神職僧侶の方から、本人の意思とは関係なく呼ばれたのだろう、
と識子さんは記載されていました。

 

多くの参拝者が来られて、信仰心をたくさんもらうと、
少しづつですが、神々しくなっていくそう。

 

正成さんをはじめ、
その眷属たちも、「がんばってみよう!!

と一生懸命になられているようです(*^^*)

 

後醍醐天皇に仕えていた頃と変わらず、
一生懸命願い事を叶えようと努力なさっています!

 

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どうしても叶えたい願い事がある、
あなたも、ぜひ一度、参拝されてはいかがでしょうか?(^o^)

 

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湊川神社の御朱印

 

湊川神社の御朱印は以下の2種。

 

社務所でお願いすれば、
書いていただけます。

 

参拝した日は平日、
しかもお天気がイマイチだったのですが、

パラパラと参拝者がいらっしゃいましたよ(^o^)

 

 

 

湊川神社へのアクセス情報

 

【電車でのアクセス】

大阪から

JR東海道・山陽本線で約25分
神戸駅から徒歩4分

東改札を出て右手階段を上がると便利です。

【車でのアクセス】

阪神高速5号湾岸線 経由 で約55分

駐車場あり。

20台ほど駐車可能。

東側にコインパーキングあり。
5台駐車可。

湊川神社
住所:〒650-0015
    兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1−1
電話:078-371-0001

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おわりに

 

今回、湊川神社に参拝しようと
思い立ったのには、訳があります。

 

正成さんの生まれ故郷にある、
金剛寺に参拝していたからなんです。

 

そちらで、
楠木正成さんの直筆の書を
見せていただきました。

 

とても、一生懸命に書かれていて、
正成さんの性格が伺えるようでした。

 

正成さんが呼んでくださったかは
わかりませんが、

 

次はここにいきなさい
と言われた気がして、
その直感にしたがって、参拝したんですよ。

 

行って大正解でしたね。(笑)

私は楠木正成公がどんな方だったか
全く知らなかったのですが、
こんな私でさえ、歓迎してくださる気が
境内に充満していましたよ。

 

あなたもぜひ一度、
湊川神社、参拝されてみてください。(*^^*)

 

ぽちっ!としてもらえるとうれしいデス♪

 

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