奥宮とはなんでしょう?















日本には、古来、
神道(しんとう)がありますが、

神社の中の、分類の事で、
とある社殿に対する
他の社殿に対する関係を表す、呼び方のひとつなんですね。



詳細を解説します!
( *^艸^)

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奥宮(おくみや)とは

奥宮とは、
神社に複数の社がある場合、
最も上位奥にある社の事を言います。

元宮(もとみや)、奥社(おくしゃ)、
奥院(おくのいん)、山宮(やまみや)とも呼ばれます。


里宮(さとみや)、口宮(くちみや)などと呼びます。



二社制では上社が奥宮となり、

三社制では本宮本社より
深奥部にある社を奥宮と呼び、

反対に
人里側にある社を前宮(まえみや)、
里宮(さとみや)、口宮(くちみや)などと呼びます。

奥宮の形成

奥宮がどのようにして
形成されていったかは不明ですが、
以下の説が挙げられています。


  1. 山岳信仰
  2. 神体山(神と考えられている山)
    を祀る神社は、最初に山麓に建てられましたが、

    神が降りてくる時に宿る依代(よりしろ)として、
    山頂にも社が建てられました。


    山頂の社を山宮(奥宮)、
    山麓のものを里宮とする説があります。
    富士浅間神社白山比咩神社などがこれに該当します。


  3. 両墓制
  4. 両墓制(りょうぼせい)は、
    遺体を埋葬している場所と
    墓参りの場所を分ける日本的習慣です。



    日光東照宮には、
    本殿の裏に奥宮があり、奥宮は徳川家康の墓地になっています。


  5. 鎮座地
  6. 京都の貴船神社の奥宮は、
    元は本宮でした。


    社伝では、反正天皇の時代に、
    神武天皇の母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、
    黄色い船で、
    淀川、鴨川、貴船川を通り、

    京都に上陸し、
    社殿を建て水神を祭ったとされています。


    現在は、奥宮の下流に本宮があり、
    水神が鎮座した場所は奥宮です。


    長野県の阿智神社は、

    奥宮がある場所に3柱が鎮座したと伝えられています。


    社伝によれば、
    孝元天皇の時代、
    天八意思兼命(あめのやこころおもいかねのみこと)が
    御児天手力男神(あめのたじからお)と
    天表春神(あめのうわはるのみこと)を連れて鎮座しました。


  7. その他
  8. 愛知県の尾張猿田彦神社(おわりさるたひこじんじゃ)の奥宮は、
    大巻山と呼ばれる
    猿尾(さろう)堤防にある河川敷の松林に建てられています。


    材木用の筏が伊勢湾に出ていく際、
    交通の無事を祈願するため、縄を絞め直す場所でした。


    奈良県の丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、
    もとは一社でしたが、
    明治時代から
    大正時代での神社の歴史研究の結果を考慮し
    上中下の三社に分けられました。



複雑な奥宮を有する神社

古事記の国譲りの話で有名な
諏訪大社には、諏訪湖の周辺に
4つの社殿がありますが本殿がありません。

代わりに秋宮、春宮、上社があり、
秋宮では一位の木が、
春宮では杉の木が御神木とされており、
上社は御山を御神体としています。


民間では、
上社は男神、下社は女神と認識されています。


そもそも、仏教伝来以降、
中国風建築様式の寺に対抗し、
和風建築様式の神社が建立され始めました。

仏教伝来以前は、
建物はなく、諸説ありますが、
大自然の中で祭祀をおこなっていたと考えられています。

諏訪大社のような歴史のある神社で
奥宮を特定する事自体が困難です。


熊野本宮大社
熊野速玉大社熊野那智大社の3社を
熊野三山と呼びます。

祭神は、長年熊野三所権現で、

本宮大社に対し速玉大社は新宮と呼ばれ、
本宮は山宮、新宮は里宮であり、
本宮と新宮は、さらに上中下社に分かれています。


まとめ

奥宮は、
本宮の奥にある社殿ですが、
その成り立ちは、

山岳信仰、両墓制、鎮座地などに由来しています。

また、諏訪神社や宗像大社、
出雲、近畿、九州地方などに

仏教伝来以前から存在する神社では
奥宮がどれかを考察する事自体がナンセンスな場合もあります。


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