石鎚山(いしづちさん)とはどんな山でしょう?



詳細を解説します。

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石鎚山(いしづちさん)とは?

石鎚山は、日本七霊山の一つに数えられる霊山で、
その中心地は石鎚神社です。

この石鎚山について見てみましょう。


神体山の石鎚山

古代日本では、
石鎚山そのものを
神霊として尊崇し畏敬しました。



とくに弥山天狗岳霊域と考え、
神聖視されました。


頂上を踏んだ靴を持ち帰り、
家の畳を踏んだり、
田畑にもっていき、
虫除けのお守りにしたりする風習は、
石鎚山を神と見なす信仰の現れ
です。


続いて山麓や展望の開けた峠などに
遥拝所ができました。
登山道ができ、最終的に山頂にも祠が建てられました。

石鎚神

石鎚神社で祀られている石土毘古神(いわつちびこのかみ)という名前は、
明治維新に付けられたものです。
もとは石鎚神といいました。


ミズチといえば水の霊です。
イシヅチといえば石の霊です。


西欧では物自身に
霊魂が存在すると考えたのに対し、
日本では、霊魂が物の中に入ると考えました。


この霊魂感は、
死体の取り扱い方に顕著に見られます。


西欧では、死体は動かなくなった霊魂であり、
大切に扱われました。



ベトナムで戦死した米兵の遺体は、
特殊な保存方法が講じられ、
アメリカまで空輸されました。
物が主体なのです。


これに対し、日本では、
死体より中に入っている霊魂が大切なのです。



良し悪しはさておき、
日本では遺品一つだけが、

日本に返ってきました。
霊魂が主体という事ですね。



西欧のもの主体の考え方は、
ギリシャに端を発します。


ギリシャでは、
物自体が主体であり、
神という物を彫刻にして表わしました。



この神像という概念が
日本に渡来すると、
日本でも石で神像
を作りました。


日本の神像は物が主体ではなく、
石の中の霊魂が主体でした。

石から作られた神像には、
石の霊魂が宿っていて、
非常に強い力を持っている
と考えられたのです。



西欧では石像が完成すると
神の「像」として機能したのに対し、
日本では元の石にも霊魂が宿っているわけです。



これが石の霊です。


石鎚山の発展

奈良時代に、
石鎚山は、
行者の役小角によって開かれました。


寂仙(じゃくせん)が、
成就社に住み修業をしました。

寂仙は、天皇に生まれ変わりたいと
願った行者として有名で、

神野天皇に生まれ変わったと
文献には記されています。


また、空海も青年時代に、
記憶を良くするための修行である
虚空蔵求門持法(こくうぞうぐもんじほう)を行いました。


その後、桓武天皇文徳天皇
源頼朝河野一族豊臣一族などから信仰されました。

江戸時代
には、
信仰が篤かった西条藩主
小松藩主から、
社殿の修理や数多くの神器、神宝の奉納がありました。


石鎚蔵王権現

寂仙は、石鎚山を石鎚蔵王権現と
称えましたが、
どうして蔵王と思われるかもしれません。



実は、修験道は、
熊野で大峯信仰として発生し、
全国各地の山に伝わっていたのです。

大峯信仰が伝わった山には、
どこでも熊野か蔵王権現が祀られました。


現在、蔵王は東北地方という
イメージがありますが、
修験道が広がった当時、
全国各地に蔵王権現があったわけで、
蔵王権現があるということは、
熊野の修験道が伝わった事を表しています。


熊野で始まった修験道は、
東北や四国、中部地方に伝わっていきましたが、
熊野が衰退すると、
お遍路巡りや登拝がある四国や白山、
東北地方などに本拠地が移動していったのです。


登拝

開山以来、石鎚信仰は、
石鎚山に登拝
することから始まりました。



現在も登拝は活発に行われています。


この登拝は、修祓、修行、鎮魂
という三つのプロセスを経ることで完了します。



苦行を行い、自然と一体化し、
神様に近づくため、頂上を目指します。


修祓(しゅばつ)

石鎚山へ登拝する前に、
海や川、滝に入る禊で、
心身の罪穢を除くことを修祓
といいます。



人が浄化されるための第一歩です。


修行(しゅぎょう)

清浄を意味する白衣を着て登拝します。

頂上に至る参道には、

  • 試しの鎖
  • 第一の鎖
  • 第二の鎖
  • 第三の鎖
  • 御鎖

の行場があります。



険しい岩場にかかるこの御鎖にすがる時、
邪心が無くなり、無我の境地に至るのです。


鎮魂(ちんこん)

頂上で、人は自然と一体になります。
ここでは、神霊にふれ、
神し人が合わさり一つ
になり、
心が鎮まります。


一生に一度は石鎚山に登り、
自然と一体になる神秘体験をしてみたいですね。



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