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神苑(しんえん)とは?

神苑(しんえん)とはなんでしょう?
  

端的に言うと
神社の境内庭園の事です。

詳細を解説します。
  

 

神苑(しんえん)とは?

神苑とは、
神社の境内や庭園のことを言います。

平安神宮神苑明治時代に整備された近代庭園です。
また、明治神宮御苑は、
武士の井伊家下屋敷の庭園でしたが、
明治時代に宮内省の所轄となり整備されました。

つまり、ほとんどの神苑は、
明治時代に公園として整備
されたのです。
  

もっと詳しく見てみましょう。
  

明治の公園事情

江戸時代の都市には、
住民の憩いの場所としての公園が
ありませんでした。
  
明治政府は、
公園を作ることで町の衛生を高めようとしましたが、
公園づくりのための費用は、
もっぱら神社の境内地の整備に用いられました。
  

何故でしょうか。
  

実は公園の代わりに神社仏閣があり、
市民は神社仏閣を訪れ、
ここで憩いの一時を過ごしていたのです。

つまり、神社は、地域のコミュニティーを
維持する機能を持っている
のです。
  
そこで公園整備と称して境内地を整備したのです。
  

この公園整備計画は、
国家の一大事業や当時の神社経営事情が関係していました。
  

明治時代の神社経営

明治時代、
神社神道は国家祭祀である
国家神道になりましたが、
地租改正により寺社領は没収され、
神社の経営はとても厳しくなりました。
  
神社が経営破綻すると
国家神道制度が維持できなくなります

  
政府は、神社経営を
経済的に支援する必要がありました。
  

明治・大正時代の政府による神社支援

政府は、神社が持つ
地域コミュニティー形成能力に着目しました。
  

神社を国家機能を形成の場と位置づけ、
神社への財政支援を開始
したのです。
  

明治20年
近代社格制度の官国弊社に
保存金を与える制度を作りました。
しかし、府県社以下の
低い社格の神社への支援はありませんでした。
  

次に、神社が借地経営することを
認めました。
すると、神社は、販売業者などに
境内地を貸し出し、
借地収入を得るようになったのです。
  

さらに、神社の境内地を公園とし、
境内地の維持費用を公園維持費として政府が負担
しました。
  

こうして神社の経済的負担が
徐々に軽減されていきました。
  

建造物と公園の分離

政府は、今までの公園計画を見直し、
建造物と公園を分離する整備方針を立てました。
  
境内地では、許可なく公園の設備が作られていたので、
これでは神社の宗教性が維持できないと判断したのです。
  
また、文化財としての神社の建築物を保護する目的もありました。
  
この建造物と分離された公園が、
神苑と呼ばれる広大で立派な庭園
となったのです。
  

民間有志の活動

民間からも有志が集まり、
財団法人などを形成し、
有志による神社境内地の整備が行われました。
  
神苑会は、この代表格で、
1886~1911年に活動していました。
  

伊勢神宮周辺で発生した
火災による神宮消失の防止を主な目的として結成され、
民家の土地買収などにより、
神苑の景観を確保しました。
  

まとめ

現在、たくさんの美しい神苑がありますが、
これらは明治・大正時代
行政が神社を支援するため、
境内地を公園として整備したもの
なのです。

 

きゅろ

このブログの管理人、きゅろです。
スピリチュアルなことが大好きで、
小学生のやんちゃな娘と
私にとってのメンターで
がんばり屋な主人と
暮らす主婦です(*^^*)

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