スポンサーリンク

主神(しゅしん)とは?

主神(しゅしん)とはなんでしょう?


  
神社には複数の神が祀られている場合、

その中で、その神社を特徴づける神様、
中心となる神様の事です。
  
詳細を解説します。

 

主神(しゅしん)とは?

神社では複数の神を祀っている場合があります。
  
その時、
神社で祀られている神様のなかで、
神社を特徴づける神様を
主神(しゅしん)、
主祭神(しゅさいじん)というんです。
  

主神以外の神を、

  • 配神(はいしん)
  • 配祀神(はいししん)
  • 相殿神(あいどのしん)

と呼びます。
  

明治時代祭神
主神配神に分けられました。
  

では、主神と配神に分けられる以前は、
どうだったのでしょうか。
神社設立時から見ていきましょう。
  

神社の起源

古代日本人は、
人が亡くなると、亡くなった人のは、
現世(うつしよ)から常世国(とこよのくに)に行き、
そこで子孫を守ると考えていました。
  
農耕が発達し、
各地に力を持った豪族(首長)が発生し始めると、
死者の魂は常世国でも首長の魂である首長霊の支配下に入り、
首長と共に子孫を守りました

これを首長霊信仰と言います。
  

仏教伝来後、
中国風の壮大な寺院が建てられましたが、
仏教寺院はもっぱら
大陸の優れた文化を学ぶ場所とみなされ、
ごくまれに首長霊を祭る祭祀が行われました。

しかし、

ほとんどの祭祀は古墳神奈備山(かむなびやま)、
野外の祭場祭壇で行われました。
仏教寺院が、祖先の霊を祭る場所にはならなかったのです。
  

7世紀末に活躍した天武天皇は、
仏教の役割と神道の役割を区別するため、
中国風の寺院に対抗し、神社が建てようとしました。

そして、寺院と区別するため、
神社は純和風の建築様式で建てられました
  
このようにして建てられた神社には、
祭神に名前がありませんでした。
  
古事記日本書紀、万葉集などでも、
祭神の名が記されている神社は、
伊勢神宮住吉神社などの有名な神社だけでした。
  
ほとんどの祭神は、
鎮座地神社の名称だったのです。
  
延喜式神名帳でも、
社名しか記されていません。
  
このことから、
延喜式が編集された
平安時代初頭でも、
ほとんどの神社の祭神に名前がなかった
ことがわかります。
  

平安時代中期から、
氏神地主神岐の神だけでなく、
火、水、木などの神様としての性格が想定され、
付加されていきました。
  

ここで、岐の神(くなどのかみ)とは、

  • 牛馬守護の神
  • 豊穣の神
  • (みそはぎ)
  • 魔除け
  • 厄除け
  • 道中安全の神

のことを言います。
  

主祭神の命名や勧請

鎌倉時代末期から室町時代にかけて
神本仏迹説が武家に支持され盛んになります。

日本に現れた神様たちは、
実は仏教の仏様たちの別の姿で
あったというのが本地垂迹説で、
平安時代末期から鎌倉時代にかけて広がりました。
  
神本仏迹説は、
本地垂迹説の逆で、
仏教の仏様たちは、
実は神道の神様達の別の姿であった
というものです。
  
こうして神社の祭神は、
神本仏迹説(しんほんぶつじゃくせつ)が広まるにつれ、
祭っている神様の性質に合わせて、
神様の名前は地名や社名から
日本神話に登場する神様に発展
したのです。
  

例えば、諏訪大社の本来の祭神も
出雲系の神様ではありません。
  
ミシャグチ神蛇神ソソウ神
狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの
諏訪地方の土着の神々であったという説もあります。
  
この頃に建御名方神 (たけみなかたのかみ)や
八坂刀売神(やさかとめのかみ)
を主神としたのかもしれません。
  

さらに江戸時代になると、
各神社では、知名度が低い産土神だと格が低くなるので、
お稲荷様や八幡様など有名な神様を分霊(勧請)し、
主神に加える
ことも行われました。
  
神社の主祭神の変更経緯を紐解いていくと、
本来の土着の神様にめぐり合えるかもしれませんね。
  

きゅろ

このブログの管理人、きゅろです。
スピリチュアルなことが大好きで、
小学生のやんちゃな娘と
私にとってのメンターで
がんばり屋な主人と
暮らす主婦です(*^^*)

この記事を読んで「いいな♪」と思ったら、
SNSでの拡散ブックマークの登録等、よろしくお願いします。

スピリチュアルな習慣をフォローしよう!
専門用語集
スポンサーリンク
スピリチュアルな習慣をフォローしよう!
スピリチュアル専門用語集

コメント