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菅原道真ってなんで
学問の神様なの????

北野天満宮に祀られているのはなぜ???





はいはい~!

私も今回そんな風に感じて、
菅原道真公について、

調べてみたんです。



するとですねぇ~!!

本当に素晴らしい人で、
学問の神様以上の
存在であることを知る事ができました。


ぜひあなたも
この機会に、菅原道真公について、
知ってみてください♪



それではいってみましょう(笑)
((((ノ。・ω・。)ノ♡

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菅原道真公とは

菅原道真といえば、
学問の神様」として
有名ですよね(๑¯◡¯๑)


なぜそこまで言われるかというと、



彼の経歴から
見ていくとそれがよくわかるんです。(゚ー゚)(。_。)



調べてみて感銘を受けたんですが、

学問の神様以上に、
素晴らしい人格者である、
という事がわかって、本当に驚きました。(๑¯◡¯๑)



参拝するときの姿勢が変わりますよ!!www



菅原家というのは、
もともと、道真の祖父・父ともに
儒学の学者
かなり有名な家系で朝廷に仕えてきた
家柄だったそうです。


ですから、



学問に関して言えば、
子供の頃から
かなり恵まれた環境に
あったのは事実。



道真は
子供時代、すでに和歌や漢詩を作り、


10歳の頃にはすでに
世間の呼び名が


神童
当代随一の秀才 !!




\(◎o◎)/!

もう勉強するのが面白くて面白くて、
止まらなくなったんだと思いますwww




30代前半で
文章博士(もんじょうはかせ)

と呼ばれる
今でいう東大の学長みたいな物になって
学者としての将来は
確約されたという事ですね。


私的に例えるなら
IPS細胞の
山中 伸弥教授のような人だったんじゃないだろうか
と想像しています。
(笑:ダイスキな方ですwww)


ただし、光もあれば,当然影もある。


当時の天皇
宇多天皇に重用され、

上位の官位に
躍り出てきたわけですね。
(b^ー゜)!!


よって、


当時、絶対的な権限をふるっていた
藤原氏からも、
かなり疎まれていた訳です。


誰の差しがねかわかりませんが、

42歳の時、
突然、文章博士の任を解かれ、


讃岐(香川県)の国司と呼ばれる
地方官を任ぜられました。∑(゚□゚;)


自分は学者の道を究めるのだと
心に決めていた道真にとって、
いきなり地方への転勤は、

左遷と同じだったわけですから、


大ショックだったに
に間違いありません。

彼は号泣したそうです。






ところが、
なんとかたどり着いた讃岐で
道真は、想像を絶する光景に愕然とします。


土地は干ばつして荒れ果て、

疫病が大流行して
多数の死者が出ている。


苦しい民衆の姿を
まざまざと見て



道真は

今、自分のすべき事は、
学問なのか?いやそれ以上に
この人たちを救う事なんじゃないだろうか?

と自問自答したと思います。




そして、



国の改革に着手するんですね♪




実態を全く知ろうとしない、
京で時の権力を握る
藤原氏に抗議の意見書を送りつけます。


そして、


同時に自分自身も断食を行い、

神に人々の苦しみを救済することを
祈り続けるのです。




この行動は、
讃岐の人々の絶大なる信頼を勝ち取り、

藤原氏の悪政を憂いていた
朝廷にいる宇多天皇の目にも留まりました。




任期を終えて京に戻った道真は、
さっそく宇多天皇に呼ばれて

天皇に仕える事になります。






民衆に厳しい現状を
身をもって体感してきた道真は



国を正そう!という気持ちに
満ち溢れていました。(*^▽^*)



当時、政府の財政も危機的な状況でしたが、
藤原氏の勢力が弱まったのを機に



道真は、天皇の秘書官庁である
蔵人頭(くろうどのとう)という役職を
命じられ、


それ以後は、
なんと3年で、9つの役職を歴任して
大出世することになるのです。




道真は当時の荒れ果てた状況になっていた
唐への遣唐使を廃止し、



日本の状況に合わせた改革を行うべきだと
進言し、唐を捨てたわけです。



これは、
本当に前代未聞の事。


また


讃岐での経験を生かし、
政治の大転換を図った道真は
門民苦使(もんみんくし)
の制度を作りました。


これは


苦しい状況にある民衆の状況を
把握するため、 日本全国に

政府の役人を派遣したんですね。





こうして荒れ果てた日本の政治は
改革されるかとみられたんですが、



実際、これほどまでの
大改革をされて、



不満を述べたのは
既得権益(きとくけんえき)
受けていた貴族達



道真の税制改革は
まず土地を民衆の手に渡る事を
前提にしていたため



すでに、自分たちが所有する土地を
失う事になる貴族達は、



不満だったわけですね。



宇多天皇の息子
醍醐天皇の代になった時、



その不満は頂点に達します

その反対勢力の頂点にいたのは
またもや、藤原氏



その頃すでに
異例の大出世を遂げて
右大臣になっていた道真。



道真の祖父の頃から
大学のような私塾を設け、
朝廷の要職に数々の要人を送り出して、
菅原家は一大学閥になったのですが、



道真は、徒党も組まなかったんですね。



したがって、
彼に反対する人々からすれば、
付け込みやすかったんです。



様の出世は、朝廷のおかげなのだから、
右大臣を辞職せよ。




さもなくば
災いがふりかかるであろう!





と書かれた書状を道真に送り付けました。



道真の唯一の後ろ盾だった
宇多天皇が醍醐天皇に官位を譲り



自身は、宇陀上皇となって
政治の世界から引退すると、


左大臣となった藤原氏の陰謀により
道真は福岡の
大宰府に左遷されることになります。




その事態を知った道真は
あえて御所に乗り込む事はせず、



そのまま大宰府の地に赴くんですね。



なぜなら、
自身が御所に乗り込んで抗議すれば、
権力抗争に発展して、
日本の改革どころではなくなってしまうからです。



これは道真の意図するところでは
無かったんですね。



彼はすでに、
未来への道筋は作り上げていたので、



それに藤原氏が着手したとしても
制度そのものを変える事はできないはず。



あとは、
誰がその改革の道を進んでいっても
かまわない。



私は権力が欲しくて
改革をしたのではないのだから。




道真は57歳。
家族を都に残して、
大宰府に出立。




以後、
都では、藤原氏が道真の
樹立した改革に着手して、

財政改革が行われますが、


当の藤原一族は、
子孫に至るまで
どんどん、亡くなったんです。



これで、

菅原道真の怨霊伝説
作られていったわけですね。



実際のところ、
道真云々というより、



天罰といった方がいいんじゃないか、
と思います。




神様は見ているんです。



以後、菅原道真が
学問の神様として祀られた
のも、当然の成り行きとも取れますよね。
(*^▽^*)



北野天満宮と菅原道実公の関係は?

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さてさて・・・。

そんなものすごい経歴の
菅原道真公を祀る

北野天満宮



主人の実家が京都にあるので、
今回、再び、家族で参拝してまいりました~。
(๑¯◡¯๑)


こちらへ再び来ようと思ったのには、
訳がありまして・・・・。




織子さんが紹介されていたんですよね♪




紹介されるだけ、

とにかく、すごい神社である事は
間違いないのだけど、



それがどんな風にすごいのか
実感してみたかったんです。



また、



私の娘の事も
相談したいというのがありました(笑)


伏見稲荷の神様が
「問題ない!」

言ってくださってはいたんだけど、
私が親として
何ができるのかも

聞いてみたかった。




私たちが訪問した日は、
ちょうど、北野天満宮の梅花祭
やっていて、

参拝者も多く、
本殿で柏手を打つまで
並びました。



境内の中は、
識子さんによると、
少し重い雰囲気がある、
との事でしたが、




私はまったく感じなくて、
(笑)
とても清らかな雰囲気に包まれました。
(๑¯◡¯๑)


本殿で娘の事を話した後
私が見つけたかったのは
文子天満宮(あやこてんまんぐう)



こちらは、
多治比文子(たじひのあやこ)
とおっしゃる
若い巫女さんのお社なんだそうです。



調べてみると、
道真公の乳母だったとの
記載がありますが、



織子さんによると、

どうも違うらしい。



まだ、かなりお若くて、
人懐っこい方なのだそうです。
(๑¯◡¯๑)



彼女のお社に参って
挨拶すると、
文子さんは、一緒に境内を
ついて回ってくれて



境内を案内してくれるそうです。
(。☉౪ ⊙。)


私は文子さんのお姿も声も
見えないし、聞こえないので、

まずはこちらのお社で
ご挨拶してから、

娘の事の相談をしてみましたwww。




北野天満宮は

右近の馬場(北野天満宮)に、
私を祀って欲しい

と道真さんから
託宣(お告げ)を受けて
文子さんが、自宅の庭に小さな祠を建てたのが、
始まりなんだそうです。




道真さんがなぜ、
文子さんの夢に出てこられたのか、
詳細はわかりません。



とにかく、



道真さんが、文子さんに思いを告げるほど、
親しい間柄だったのは想像できたので、

相談してみたんです♪
(๑¯◡¯๑)



北野天満宮は、



以後、怨霊に悩まされた藤原氏の手により
増築され、

現在のような見事な社殿になりました。
(´▽`v)


道真さんは
普段は、太宰府天満宮の方に
いらっしゃるそうで、


時々、
折を見ては、
北野天満宮のお社にも
お渡りになるそう。


文子さんに
願い事を伝えたので、

道真さんがいらっしゃった時、

話してくださるといいなぁ・・・。と思いました。
(o^―^o)ニコ



道真さんは、

自分の下についている神様の数
太宰府天満宮と同じにしていて、



見習いのような
神様たちも含めると

その数はハンパじゃないくらい
多いそうです。
\(◎o◎)/!



だから、



通常、道真さんが居られなくても、
これらの神様たちが

じっくり話を聴いてくださるんだそうです。



左遷という、
絶望的な事を藤原氏にされながら、
なお、都の事を気にかけていらっしゃるなんて、

本当に頭が下がる思いがしました。

道真さんの経歴を調べて良かった♪



知らなかったら、
こんな気持ちになって
参拝できませんでした。



知るって大事な事なんですね(b^ー゜)!!


北野天満宮へのアクセス

北野天満宮への
アクセスはこちらから♪(^O^)

北野天満宮

住所 〒602-8386
    京都府京都市上京区馬喰町
電話 075-461-0005



終わりに

娘は、習い事に全く興味がなくて、
いろいろ紹介してみたのだけど、

全く興味が無かったんですよね。
(`Д´)



ところが、
いろいろな神社で、
神様に相談していたところ、



ある日突然、

「くもんに行く♪」

と言い出した。



(´▽`v)
まじかよ!?と思いましたが、



今も毎日、宿題のプリントをコツコツ続けています。



今後も、折を見て、
北野天満宮に参拝して
道真さんに相談していこうと思います。



道真さん!ダイスキです!!(笑)



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