Pocket

某ゲーム・某漫画にはまって、
真田信繁(幸村)の大ファンになっちゃった!

真田信繁ってどんな人だったの?

九度山はどんな所?

真田信繁の鎧

真田にはまっちゃたんですね!(笑)

私もそうですwww。

ゲームはやっていませんが、
きっかけはなんであれ、
真田にはまったあなたは、

真田のスピリチュアルなパワー
感じるようになると思います!
(^^)


真田信繁ってどんな人だったのか、



彼が父:昌幸とともに蟄居し、
絶望を感じながら

神から与えられた使命を自覚した地、
九度山

概略だけですが
頭に入れて大河ドラマを参照すると
かなり面白く見る事ができるようになると思いますヨ
(^^)


今回、その九度山も行ってまいりましたので、
どどーんと紹介しちゃいますねっ

それではいってみましょう~(^^)




Sponsored Links



真田信繁:幸村(ゆきむら)とは?



真田信繁:(のぶしげ)
幸村(ゆきむら)とは、

一体どんな経歴を持つ人物だったんでしょう?




真田信繁像


なぜ、「幸村」の名前が定着したのか?



    私も若い頃から、
    真田といえば、「幸村」と覚えていて、
    それが本名じゃないと知ったのは、

    今回の大河ドラマが初めてです。
    (^▽^;)

    調べてみると、

    現在、
    「幸村」という名前は、
    江戸時代の軍記小説作家達によって
    創作された可能性が一番有力なんだそうです。




    信繁自身は、
    今から述べますが、幼少期から、
    大坂冬の陣・夏の陣までは、

    本当に知られていない地味な武将だったんですね。



    死ぬ寸前の数年の大活躍で、
    後世に語り継がれ、伝説のヒーローになった際、

    「幸村」と名付けられ、
    全国的に有名になった、という事らしいです。





そんな真田信繁の略歴を

概略ですが、
まとめてみました(^^)

おおよそでいいんで
頭に入れてから
大河ドラマを見ると、

かなりわかりやすくなると思います♪
今の大河ドラマのキャスト名も書いておきますので、
参考にしてくださいね(´▽`*)



aikon-2 真田信繁(堺 雅人)の略歴

Sponsored Links



  • 真田昌幸(草刈雅夫)の次男として生まれる。
  • 幼名は弁丸(べんまる)
  • 父・昌幸が山梨県(甲斐)の
    武田家に家臣として仕えていたため、
    幼少期から武田家の人質として過ごす。
  • 武田氏は織田信長(吉田鋼太郎)に滅ぼされたため、
    真田昌幸は織田家に恭順
  • 上杉景勝(遠藤憲一)の人質に出される
  • 豊臣秀吉(小日向文世)の人質に出される
  • 大谷吉継(片岡愛之助)の娘を妻に
    竹林院:ちくりんいん)きりor梅
  • 関ケ原の戦の直前、
    第二次上田合戦で昌幸に従って
    徳川秀忠軍を足止め。
  • 兄:信幸(大泉 洋)の必死の助命嘆願で、死罪は免れる。
  • 父:昌幸とともに、
    紀州九度山に蟄居(ちっきょ)。
  • 豊臣秀頼の要請で大坂城に登城
  • 大坂冬の陣において、
    出城である真田丸を築き奮戦。
  • 大坂夏の陣:誉田村の戦いにおいて、
    伊達政宗勢を道明寺まで押し返す。
  • 大坂夏の陣:天王寺の戦いにおいて、
    徳川家康本陣に三度突撃するも、
    松平忠直の兵との戦いで力及ばず戦死。




 なぜ、人質にされるのか?



    信繁は、幼少の頃から、
    人質に取られていますが、

    戦国時代において、
    真田家のような弱小領主の場合、
    家族が人質に取られる事は、
    珍しくなかったんです。





    裏切り等も頻繁に行われるため、

    真田昌幸の当主であった武田も、

    親戚であり
    武田家の娘婿でもある木曽義昌から人質をとり、
    その木曽義昌が裏切ったため、

    勝頼は人質の家族を殺しています。
    (; ̄ー ̄A



    逆に人質は出世のチャンスもある訳です。

    真田に関していえば、
    人質になったことで、当主との深い信頼関係が構築されます。

    その結果、昌幸の兄・昌輝をはじめ、

    真田昌幸は
    人質でありながら武田家の重臣となりました。



幼少期はほとんど
資料もなく、
どんな子供だったかわからないそうです。



兄の信幸の記述によると、

「おとなしく、
忍耐強い男の子」だったとか・・・。



これだけの人生を送った人物なので
後に
日本一の兵 (ひのもといちのつわもの)
と呼ばれ、
逸話もいろいろとあって、

ヒーローのような書き方をされていますが、

実際は、かなり地味な性格で、

大坂冬の陣・夏の陣で登場するまでは、
本当に目立たない存在。
(^▽^;)



それでも、幼少期から、
常に、死と隣り合わせの環境で

父:昌幸から、
強烈な影響を受けて育っており、
兄:信幸との
絶対的な信頼関係が培われて来たわけです。

表面は地味でも、
裏でいろいろと画策し、
戦略を練り続けていた事は間違いない。



父と家族と共に九度山に蟄居させられ、
14年間もの長い間、
屈辱的で絶望感あふれる日々を送っていた訳ですが、

人間誰しも、
こうした長い期間、苦しい年月を送ると、
「見返してやる」というメラメラとした情熱が
沸き起こってくるに違いないだろうし、




それが後の
真田丸で奮戦する
パワーの一端につながったんだろうなぁ・・・と
思います。



九度山:真田の蟄居先



私は、高野山へ参拝する前に
九度山町の
真田庵(善名称院:ぜんみょうしょういん)に家族で訪れました。




ここは、関ケ原の合戦の後、
徳川家康の命によって、

真田昌幸・信繁親子と、
その妻子・家臣達が蟄居していた所です。



真田庵



この地で、
家族と共に、14年間暮らしました。



第一印象としては、

「うわぁ~・・・これは寂しかったろうなぁ・・・」
という印象。

周りは、山に囲まれ、
裏手には、丹生川のせせらぎが
聞こえるという癒しの里です。



丹生

父の昌幸の死後、
彼の家臣のすべてが退去し、
わずか2~3名の自分の家臣とともに

50代手前まで
居たという事ですから、

そのつらさは、言葉に尽くせない程。


彼が姉に送った書状には、
「ひげも白髪だらけ、歯も抜け落ちて、
今にも、倒れそうな風貌」

と書き綴っていたといいます。

本当にこの地で、
ろうそくの灯が消えるように生きていた
信繁のもとに、




豊臣秀頼からのSOSが届くんですね。

秀頼としては、
とにかく全国の浪人達でもいいから、
かき集めなければ、
殺される!!という恐怖から、

手当たり次第という感じだったと思うんですが、

信繁は、
これを天からの使者、
千載一遇のチャンスととらえて、

大坂に出向くんです。


これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、

この時点で、
信繁は、この合戦で
死ぬ覚悟を決めていたんだと思います。

誰が考えても、
徳川の勝利はわかる。


自分の勝利ではなく、
オヤジに叩き込まれた戦略を実践して、
燃え尽きよう、

それが真田の家に生まれた俺の宿命なのだ、と。




表面上は、

九度山でただ命を長らえているだけのところを

豊臣秀頼様に、召しだされて、
武士としての面目を立てていただいた。



としていますが、
それ以上に、最後まで「徳川と戦いたかった」と言って
神に召されたオヤジの願いを叶えてから

あの世で父と巡り会おう
と思っていたのでは・・・・と思うんです。



本当に、親・兄を心から愛し、
義をつらぬいた誠の日本男児、真田信繁。




素晴らしくカッコいい男性ですよね!


終わりに

真田庵で私が一生懸命、パシャパシャ、
カメラ撮影をしていると、

その背後で、

主人は、黙ってじっと、
真田昌幸のお墓に手を合わせていたんです。



真田のお墓
もしかして、
信繁は、夫のような人だったんじゃないかなぁ・・・

なんて思わせる瞬間でした。
(^^)

大河ドラマが放映される前に訪問できて
幸運でした。

これから毎週、ドキドキしながら
「真田丸」を楽しめると思います!


機会があれば、ぜひ一度行ってみてくださいね。
真田信繁と昌幸が
あたたかく迎えてくれますヨ♪


善名称院 真田庵
住所:〒648-0101
   和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
電話:0736-54-2218





Sponsored Links




ぽちっ!としてもらえるとうれしいデス♪